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ロシア旅行記 ペテルブルクのドストエフスキー

こちらがペテルブルク滞在中に泊まっていたホテル「モスクワ」です。
ペテルブルクなのにモスクワ。何でだ。
ペテド13

ホテルの手配は完全に旅行会社にお任せだったんですが、
別に頼んだ訳でもないのに、ドストエフスキー先生の眠る墓地から直近の宿を取ってくれました。
通りを挟んで向かい側くらいの位置関係です。通りは大分広いですけど。
単なる偶然ですが、引き寄せられたんだと思っておきたい。
ホテルに着いて荷物を置いたら早速、この旅の一番の目的である先生のお墓参りをしに出かけました。



墓地の名前はチフヴィン墓地といって、
ロシアの歴史に残る著名人、文化人らが数多く葬られている場所です。
いわばセレブ墓地。

ペテド1 ペテド5 ペテド40
ペテド39 ペテド2 ペテド3
先生のお墓は上の図の51番。
案内板を頼りに進んでいくと、特に探し回ることもなく、あっさり辿り着きました。
雨の中でついにご対面。
こちらがドストエフスキー先生のお墓です。

ペテド4

人類の歴史に残る偉大な作家のお墓にしては、意外に質素だなという印象です。
セレブ墓地と言っても敷地はそんなに広くなく、
このお墓も園内の小道沿いにごくさりげなく置かれているので、
そんな大物がここに眠っているとは、俄には信じられない感じ。
それでも、あのドスト先生がここに、と思うと、
自然と神妙な、襟を正したい気持ちになります。


何はともあれ、このためにはるばるロシアまでやって来たのだから、
一番の目的を果たさねばなりません。
『罪と罰』を漫画の原作として使わせていただいたご報告とお礼、
そして無茶な翻案を施したことのお詫びを、心の中でお伝えしました。
多分僕の心の声は天国の先生に届いたと思います。
僕の心の耳には、先生のため息と小さな舌打ちが返ってきました。

ペテド12 ペテド10 ペテド11

お墓には花が供えられ、僕の他にも団体客や個人で見に来ている人がいました。
やはり人気は高いようです。


ロシアの有名人と言っても日本人には馴染みが薄いですが、
僕の知っているところでは他に、チャイコフスキーやムソルグスキーなどの作曲家のお墓がありました。
下の写真で天使たちと戯れているのがチャイコフスキー。
隣の写真がムソルグスキー、更に隣はボロディンです。
ペテド6 ペテド41 ペテド42
ペテド7 ペテド8 ペテド9
この墓地にあるお墓は、それぞれに独自の装飾が施されていて、眺めて歩くのも面白かったです。


      *      *      *


午前中にお墓参りをすませ、午後からは街の中心部の近くにある、
「ドストエフスキー文学記念博物館」を見に行きました。
モスクワの「ドストエフスキーの家博物館」は、ドスト先生の生家を博物館にしたものでしたが、
こちらの「文学記念博物館」は、先生が晩年を過ごした終の住処を博物館として公開しています。
建物自体は普通の街中にあるアパートです。
ペテド15

展示の内容は、遺品や資料を通じて先生の生涯を紹介するというもの。
博物館の設備自体は、20世紀で止まってる感じのモスクワの博物館とは違い、
ちゃんと21世紀標準な感じでした。
モニターを使った解説や、音声ガイダンスもあり。
入場するとき英語の音声ガイダンスを勧められたのですが、聞いてる間立ち止まって動けなくなりがちなので、僕はそれを断ってしまいました。
でも中に入ってみて後悔することに。
展示物の説明文が例によって殆どロシア語のみなので、それがどういう曰くのあるものなのか分からないということがあまりにも多かった。
途中で引き返して改めてガイダンスの機械を借りようとしましたが、その時には閉館まであまり時間がないからもう貸せないと言われてしまいました。

そんな訳なので、以下博物館で撮って来た写真を貼っていきますが、
説明は主に後から調べたもので、曖昧なところや間違いもあるかも知れません。ご注意下さい。
何か間違いを見つけたらご一報を。
これまた例によって、館内が暗かったので写真によっては盛大に手ブレしてますが、それも雰囲気と思っていただければ幸いです。





ペテド21 ペテド23 ペテド24
まずはご本人の写真と、当時の状態を再現した先生の書斎です。
先生は亡くなる前の数年をこのアパートで過ごし、最後の長編である『カラマーゾフの兄弟』はこの書斎で執筆されました。
机の向かいに通りに面した窓があります。
執筆の合間に窓辺に立って、下を行き過ぎる人たちを眺めたり、街のざわめきに耳を傾けたりもしたんでしょうか。




ペテド32 ペテド17 ペテド49
左の写真は、最初の奥さんのマリア夫人。
次の写真は、二人めの奥さんでアンナ夫人。
アンナ夫人は『罪と罰』の執筆時、先生の口述を速記で写し取るという重要な働きをした人で、ドスト文学を語る上でも欠かせない人物です。
このアパートでドスト先生と暮らしたのはアンナ夫人の方で、右の写真は夫人の部屋です。




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ペテド27 ペテド33 ペテド30
上段左は『罪と罰』の当時ものの本。
細かい書き込みは先生の字なんでしょうか?
隣は挿絵から察するに、先生の愛読書、セルバンテスの『ドン・キホーテ』ではないかと思います。
右は節ごとに細かく番号が振ってあるので、多分聖書じゃないかなと……。
下段は直筆の数々。
詳細は全く分かりませんが、書き手の超几帳面な性格が如実に伝わってきますね。




ペテド16 ペテド28 ペテド26
こうした品々も詳細は不明です。
当時ものなのかレプリカなのかも分からず。
右の写真は見たところ製図用具のようですが、ドスト先生が作家になる前、
工兵局製図室に勤務していた時の仕事道具ということでしょうか。
となると、
ペテド29
この図面はその当時に先生が描いたもの、とも取れるのですが、
ひょっとすると全く違う意味があるのかも知れません。
と言うのも、この図面はペテルブルク市内にあるペトロハヴロフスク要塞の一部を描いたものらしいんですが、
ドスト先生が一時期政治犯として投獄されていたとき、収監されていた場所が正に、このペトロハヴロフスク要塞だったのです。
そう思ってみると、図面中央の部屋割りされてる部分が監獄の独房っぽくも見えてきます。
図面の右上に1822年という表記があり、
先生が製図室に勤務していた時期とも、投獄されていた時期とも合わないので、
ひょっとしたらどっちも関係ないかも知れないんですが………

まあこれ以上曖昧なこと言うのはやめとこう……。


社会主義運動に関って死刑判決を受けたドスト先生は、
死刑執行の直前に皇帝の恩赦によって減刑となり、シベリアの流刑地に送られました。
これは皇帝の仕組んだ壮大なドッキリだった訳ですが、ドスト先生にとっては人生観を揺るがす大きな出来事でした。
ペテド18 ペテド43 ペテド44
左の写真は当時の死刑執行の様子を描いた絵のようです。
流刑地やそこでの労役の様子を描いた絵が右の2枚です。




さて、「多分〜」とか「〜かも知れない」とか、歯切れの悪い言葉が並び、
現物を見て来たくせに甚だ心許ないレポートが続きましたが、
最後に紹介するのは、絶対に間違いようのない、
極めて具体的なあるものです。
ドストエフスキー先生という人物が、
生身の人間として百数十年前にこの地上で、間違いなく現実に生きていた、
ということを、
はっきり目の前に見せて教えてくれます。

それがこちら、
ドストエフスキー先生のデスマスクです。

ペテド22

こういうものがあるとは予想してなかったので、
見た時はかなり衝撃を受けました。
こういう形で死者を記念するという文化は、日本人にはあまり馴染みがないですし(全くないとは言いませんが)。
先生がこの世に生きていたことの証拠として、
お墓よりもこちらの方が、生々しくリアルに心に残りました。
ああ、本当にいたんだなあ、と。





博物館の最寄り駅は、地下鉄のドストエフスカヤ駅。
駅の近くには先生の銅像もあります。
ペテド14 ペテド35 ペテド36
ペテド37 ペテド38
博物館の周りの街並も昔のままなのかな。
この道を先生も歩いたのかなと思うと感慨深いですね。




長くなりましたが、今回はここまで。
次回はペテルブルクで『罪罰』ロケ地巡り。
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02:58 | ロシア旅行 | edit | page top↑
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