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ロシア旅行記 ラスコーリニコフのペテルブルク その1

ペテロケ23

さて、ペテルブルクはドスト先生が晩年を過ごされた街であるとともに、
小説『罪と罰』の舞台になった街でもあります。

センナヤ広場やネヴァ川、ワシーリエフスキー島など、実在の地名が作中に出て来るのは勿論のこと、
「S横町」や「K橋」のようにイニシャル表記になっている道や橋にも、ちゃんとモデルとなった実在の場所があります。
主人公ラスコーリニコフが住んでいたアパートや、老婆殺害の犯行現場なども所在地が特定されていて、
江川卓先生の『謎とき『罪と罰』』には、それらの場所を記した地図が載っています。
ペテルブルクに行ったら、ラスコーリニコフの歩いた街角を歩き、ラスコーリニコフが見た景色を見てみたいと、ファンなら誰しも思うところ。
僕も昔から映画のロケ地巡りとか大好きなので、地図のコピーを片手に散策に出かけました。

ペテロケ27 ペテロケ26 ペテロケ25

ところでこの『謎とき〜』版の地図なんですが、
現地に行ってみると、まずラスコーリニコフの下宿の位置が、実際の場所とは微妙にズレていることが判明。
そうなるとその他の物件に関しても、地図上の表示を無条件に信じていいのか怪しくなってきます。
地図が間違っているとして、地図だけが間違っているのか、元になった考察自体は正しいのか、疑い始めるとキリがないんですが、
まあ舞台の街は実在でも、登場する人物や事件は架空のものなので、その辺はあまり深く突っ込んでもしょうがないのか…。
他に参照出来る資料もないので、基本この地図を頼りに回ってますが、ひょっとしたら全然違うものを見ながらああだこうだ言ってるのかもしれない、ということは一応前もってお断りしておきます。

それでは見て回った順にご紹介していきましょう。

ペテロケ28



1)センナヤ広場
ラスコーリニコフの下宿からほど近いところにある大きな広場で、劇中で何度となく、登場人物たちがこの周辺を訪れます。
物語の終盤で、ラスコーリニコフが警察署へ自首しに行く時ここに立ち寄り、ソーニャに言われたように「自分の汚した大地に接吻する」、その重要な場面の舞台にもなっています。

ドストエフスキー文学記念博物館に展示されていた、19世紀当時のセンナヤ広場の様子を描いた絵がこちら。
ペトロケ1
当時のロシアで最大の都会だったペテルブルクの中でも、特に人の集まる市場だった場所ということで、かなりの人出で賑わっていたことが窺えます。
今の日本で例えて言うと、渋谷のスクランブル交差点とかになるんでしょうか。

現在の様子はこんな感じ。
ペトロケ2 ペトロケ3 ペトロケ5
ペトロケ4
下段の写真のパルテノンぽい建物が、上のイラストの中にも描かれているのが分かりますね。
広場という名称は残っていますが、現在ではその真ん中を幅の広い車道が横切る形になっていて、市民が集まって思い思いに過ごしたり、催し物を開いたりするような、いわゆる「広場」ではなくなっています。

市場だった名残は周辺に軒を連ねる各種の商店に。
賑やかであること自体は昔と変わりないですね。
地下鉄駅の近くには大きなデパートも出来ていました。
ペトロケ6 ペトロケ8 ペトロケ7
ペトロケ9
ラスコーリニコフが接吻した地面はどの辺だったのかなあ……。



2)ラスコーリニコフの下宿
ペテロケ10 ペテロケ11 ペテロケ12
センナヤ広場の裏手から、運河を越えて北へ。古い街並が続きます。
2ブロックほど歩いたところにラスコーリニコフの下宿とされる建物があります。
ペトロケ15
辻に面した建物の角にはドスト先生のレリーフが。
下には「ラスコーリニコフの家」と書いてあるようです。
ペトロケ16 ペテロケ18
ペテロケ19 ペトロケ17
こうやって、ここがその建物だと分かるようになってるからいいんですが、
件の地図では実際の建物が建っている場所と通りを挟んだ反対側に印がついてるんですよ。
これから行く人はご注意下さい。
ペトロケ13 ペテロケ22 ペトロケ14
建物には今でも人が住んでるみたいです。
小説の中の記述では建物は5階建てだったはずなんですが、
これは見たところ4階建てっぽいですよね。
下の方に見えている半地下っぽいところも入れて5階なのか、
下から見えない屋根裏部屋があって、そこも含めて5階なのか、
そもそもモデルにしたというだけで、厳密に同じ建物ではないのか、
ひょっとしたら当時とは別の建物が建っているのか、
そこら辺の事情は全く分かりません。
ペテロケ20
因みにこの上の写真を見て、1824年に建った建物なのかと勘違いしたんですが、後から調べてみると、
1824年11月7日にこの高さまで水が来た、と書いてあるようです。
河口の沼地を埋め立てて造られたペテルブルクの街は、昔から度々水害に悩まされていたそうです。
ペテロケ21
下宿の前の通りです。
この道をドイツのシャッポをかぶったラスコーリニコフがウロウロしてたんですね。




長くなるので次回に続く。
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